男性不信の女性から相談の手紙!私にも幸せな結婚できますか?

水上こう子さん(仮名)の成婚ストーリー

仲人おばさんの婚活コーチング・ノート 

 

《相談者》

【水上こう子(仮名)広島大学教育学部卒・30歳・市内小学校教諭・161cm50kg・浦和市(現さいたま市)在住・父61歳・大卒・元会社員・母55歳・高卒後専門卒・妹26歳・大卒・既婚・会社員】

 

今は息子の嫁にあとを継がせていますが、少し時間ができましたので、私の仲人おばさんとしての、成婚エピソードを書き留めた備忘録としてのノートを取り出して、人生の集大成のつもりで書きます。時代はとびとびですが、思い出すままブログに書きます。

 

この世界にのめり込んだきっかけは、25歳の時(すでに結婚していました)私の大学時代の同級生と職場の同僚の男性を結び付けたことが始まりでした。

 

ブログ目次

 

 

《仲人は、自分の「文化度」を上げるしかない》

 

時代が前後しますが、仲人業を始めて25年くらい経った頃のことです。私自身の子育てをしながら、変な話ですが「他人」の結婚の世話をし、四半世紀経った頃のことです。

 

結婚相談室(仲人業)を始めて25年もやると、それまで培ってきた自分の世界観や文化度がいかに卑小なものかが痛いほどわかる。また経験則などと言っても、そうした価値観をもとにして人間は養われていくものですから、もっと読書量を増やすとかして“教養”を身につけなければならない、と今でも思う。

 

自分の経験などはまことに狭いものです。基本的にはこの仕事は、大勢の人間の生身の生き方に常に接するわけですから、一人一人の会員さんと共に悩み、その人に寄り添うしかない。

 

仲人という、ふつうでは経験できないことを会員さんとともに歩むのだから、さらにバランスの取れたアドバイスをするには自分の「文化度」を上げるしかない、といつも思っている。

 

婚活相談者からの手紙

 

ある日、浦和市(現さいたま市)内の小学校に勤務する女性教師から相談の手紙が来た。

 

おおむね世の中の男性をどう考えていいのかわからない、という内容である。けっきょくそこを納得し、男性を尊敬できれば結婚できる、というものであった。したがって、幼児の頃から30歳になる今日まで、こと男に関しては「いい思い出」がないと書いてある。

 

《男性を好きになるという気持ちからは遠い》

 

手紙をかいつまんでいうと、こうなる。

 

  1. 幼児のころの記憶はたいへん薄いのですが、近所の若い大人にさんざん体を触られ、不愉快な思いをしたように思います。家に泣いて帰ったおぼえがあります。

 

  1. 小学校の高学年にも塾の帰りに、暗がりで、大人に、いろいろ触られただけではありますが、いたずらされました。怖かった。そのころ母が看護婦に復帰したばかりで、迎えに来られない事情がありました。

 

  1. 中学校の2年の夏休みに、好きな同級生の家で彼が体の上に乗って来て、激しく抵抗して泣いて帰りました。その後、彼は同じクラスの女の子を妊娠させて退学させられ、のちに違う学校に転校したようです。

 

  1. 高校1年の頃も、同級のすごく優しい男の子で、この子ならなにもしないと思って付き合ったら、やはり求められ、激しく抵抗して事なきを得ました。そうしたら違うクラスの頭の良い女の子とできているという噂を聞きました。なぜか、私はその女の子には勉強で負けたくないと思い、一心に勉強しました。けっきょく私は広島大学に入学しましたが、彼女は東京の六大学の1つに入ったというのを聞きました。彼も東京のどこかの大学に入学したということです。二人は別れたと聞いています。

 

  1. さいたま市に来たのは、伯母がいて「こちらへ来なさい」というので、さいたま市の教育委員会の試験を受けて受かりましたので教員をしています。ところが学校の教頭が、なにやら私に興味があるらしく、再三「たまに食事などしませんか」など誘います。一度も応じていません。もともと職員の飲み会などでは、特に男性が羽目を外すことが多く、いい印象を持ったことがありません。

 

《こんな私にも結婚という幸せが訪れますか》

 

そんなわけで、私はこれまで男性を尊敬はもちろん、好きになるという気持ちとはたいへん遠いところにいます。こんな私にも結婚という「幸せ」が訪れるでしょうか。

というのが手紙の結びである。

 

私は正直、そうした経験とは、それこそ遠いところにいたので、戸惑いが先にきてしまい、なんと返事を書いたものかと悩みました。返事の手紙よりも、実際来てもらったほうが相談にのれるのにと思っていました。

 

45日返事を書かないでいたところ、日曜日の午前中にとつぜん電話が鳴った。

 

「みなかみと言いますが、きょうこれから伺ってよろしいでしょうか?」

 

私は「あゝあの」と、分かった。その日もけっこう来客があったので、午後2時にしてもらった。

 

今はほとんどがインターネットで異性を選べるので、相談室へ来る会員は、交際中の会員さんの相談以外は来社することはないが、その昔はウエディングニュースによる掲載誌の時代でしたので、会員さんはしょっちゅう顔を見せる人が多かった。

 

写真や略歴を見て異性を選んでいくのである。選ぶだけでなく、私の意見などを聞いて参考にしたいという会員さんもいる。それが仲人と会員の濃いコミュニケーションにつながっていたことは確かである。

 

来客がひっきりなしに訪れる応接室

 

したがって予約と言っても名ばかりで、私の仕事場は応接室一つしかないので、時間で来客があった場合は、前からいる人は、掲載誌を見られる権利があるというわけで、帰らずに横へよけるだけで、相談事は室内にいる人には筒抜けに聞こえるのであった。聞いている人がロをはさまないだけであった。

 

長く在籍する会員同士は、まるで家族にでもなったかのように話題を共有しているというふうであった。

 

しかし今でいう個人情報保護法に照らし合わせると、うちへ来る会員さんたちにはプライバシーはなかったかも知れない。

 

《もっとひどい経験をした方も結婚しました》

 

その日もそうであった。先約である竹野郁夫さんが遅れてきたこともあって、水上こう子さんが来たときは相談事が終わっていなくて、彼は彼女が話し終わったらまた再開するようなことになった。

 

水上さんは楚々としていて、実に可愛いらしい。男性にはもてるだろうとすぐ思った。

 

「僕は耳をふさいでいますから、遠慮なくどうぞ!」

 

と竹野郁夫さんはわざわざ声を出して如才なく言う。彼は私の背中側のソファーのうしろに位置して椅子に腰かけていた。水上さんが見えるところにいる。

 

水上さんは、私と相対しても、なかなかしゃべり出そうとしない。内容が内容なのでそうかも知れない。しかし私は、経験上わかっているが、こういうのは異性が耳にして意見を述べさせるといい方向に行く二とが多かった。

 

特に竹野郁夫さんは、35歳で子供はいないが、離婚を経験していて、ある意味で女性に関して苦労をしている。長距離トラックの運転手であった。

 

水上こう子さんは竹野郁夫さんをそれとなく見た。同時に彼も見た。彼はあわてるように、

 

「あっ、僕は出ていましょうか?すいません、気が付かずに、俺って馬鹿だなあ」

 

と言って出る準備をした。すると、水上さんは、

 

「いいえ、いてください。よろしければいて下さいませんか?」

 

「いて、くれって…」

 

と言って私のほうを見た。水上さんは、自分のせいで竹野さんを部屋から追い出すようなことはしたくなかったのかもしれない。私は、「竹野さん、お許しが出ましたので、おられてお相手を選んでいてください、あき次第またお話お聞きしますからね」

 

と言った。そうしていよいよ本題に入った。

 

「お手紙は読ませていただきましたよ。たいへん苦労なさったようですね。ふつうは、この世の中には男と女しかいませんので、水上さんの問題は永遠の課題かも知れませんね」

 

「私のような相談事を持ち込む女性っていませんでしょう?」

 

「いらっしゃいますよ。もっとひどい経験をなさった方もおられます」

 

「えっ、では…」

 

「そうです、彼女はそれでもうちで結婚していきました。今は幸せに家庭を守っていることでしょう」

 

その当時からさかのぼること10年くらい前の事であった。両親に連れられて33歳の女性が相談にきた。少し小太り気味であったが、とても美形であった。彼女は両親の間に座って、入会することを決めて帰るまでメソメソ泣いてばかりいた。

 

23日して彼女から手紙が来て「小学6年の時、近所の青年に乱暴されて、泣いて帰ったけれど、両親は世間体を考えたのか“忘れろ、我慢しろ”というばかりでした。残念なことに、自分が成人して気が付くことは、恐怖で帰宅した自分の娘を、両親が抱きしめてくれなかったということです」

 

私は手紙を読んで「そちらか?」と思いました。結果的には、短大卒のその女性は男性医師ともお見合いもして短い間交際もしましたが、結婚したのは高卒の何かの職人さんであったと思います。赤ちゃんもできて、当分の間、絵葉書やら年賀状やらを下さいました。

 

そうしたエピソードも水上こう子さんにしました。彼女は入会の書類を一式もって帰っていきました。部屋に入ってきた時とは打って変わって、晴れ晴れした面持ちで帰っていきました。

 

水上さんが帰ったあと、竹野郁夫さんは、

 

「世の中には最低の男がいるんですね。目の前にそいつがいたら僕は殴り殺すかもしれない!」

 

と興奮している。そのあと、

 

「ああいう女性が僕の嫁さんだと、一生大事にするんだけどなあ。先生、正式にお見合いはできないですかねえ」

 

と言った。私は聞かないふりをしていた。彼に子供はいないが再婚であるし、学歴も違いすぎるし、実現はむずかしい。ただ背は高いし、ハンサム(イケメン)である。

 

《この前相談室にいた男性がいいと思うんです》

 

翌週の土曜日、水上こう子さんが入会の手続きに来た。手続きが終わって、掲載誌の中から男性を選ばせた。その5人ほどの中に、驚いたことに“竹野郁夫さん”を選んでいる。

 

「水上さん、この人、この前うちに来ていた男性ですよ」

 

「はい、知っています。こういう人がいいと思うんです」

 

「そうねえ、この人再婚で、高卒よ、あなたは初婚で、国立大学を出ているし」

 

「そんなこと関係ないと思います。この方がお会いしてくださるならお見合いさせてください」

 

意思がはっきりしている。私は“望むところ”とばかりに彼に連絡した。留守録であった。それが面白い。彼女と受話器に耳をつけて一緒に聞いた。

 

彼女と二人で彼の留守録を聞く

 

『お電話ありがとうございます。あなたのお電話くださった時間は分かりませんが、土曜日の昼間でしたら大阪からの帰りで、たぶん浜松を過ぎて、掛川、富士市あたりで富士山なんか眺めながら帰京の一途をたどっていることでしょう。ご用の方はこのあとピーとなりましたらお話しください。帰り次第お電話いたします』

 

二人は顔を見合わせて笑った。

 

「いまちょうど富士山を眺めながら走っているんだわ」

 

と私。

 

「ハンドル操作間違わないように‥」

 

水上こう子さんは祈るような顔になった。

 

二人が結婚したのは言うまでもない。ただ、彼女の広島の両親から猛反対を受けたのには、二人の情熱がはねのけた。

 

親からの結婚の反対を情熱ではねのけた成婚カップル

当時撮影した成婚カップルの写真

 

《水上こう子さんのお見合い相手》

 

【竹野郁夫(仮名)川口市内工業高校卒・再婚・次男・35歳・長距離トラック運転手・175cm70kg・川口市在住・父・亡・母70歳・高卒・兄41歳・高卒・既婚・弟33歳・高卒・未婚・会社員】

 

今でも年賀状をくださっている。子供も3人できて、幸せそうな家庭を営んでいると信じている。

 

(この巻完了)

 

 

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