5年以上婚活しても結婚できなかった男性お見合い持ち物に理由が…
お見合い結婚体験談
婚活歴5年以上、10カ所の結婚相談所で70人とお見合いしても結婚できなかったと話す男性が相談に来た。お寺の跡継ぎがいないという深刻な後継者問題を抱えている僧侶でした。
これは一筋縄ではいかないと思った。“結婚できなかった理由がわからない”というので、それを探るために、過去のお見合い状況を詳しくカウンセリングした。
お相手探しの方法が悪いのか、会話に原因があるのか?話を聞いていくと、どちらも間違った方法だったので、お見合い成立率が高まる方法をアドバイス。結婚できなかった理由が、それなりに見つかりましたが、原因はそれだけではないような気がします。
10カ所の結婚相談所に入会して、誰も気づかなかった「結婚できなかった理由」の答えがわかったことで、婚活が急展開して成婚にたどり着く、お見合い結婚体験談です。
《成婚者 プロフィール》
【辰野紀章(仮名)鴻巣市在住・36歳・佛教大学仏教学部卒・僧侶・年収550万円・初婚】
《妻は仲人名人》
昭和から平成の時代にわたり、“仲人おばさん”としての経験を備忘録としてノートに書き留めていました。今は息子の嫁が仲人を継いでいますが、少し時間ができましたので、時代はとびとびになりますが、創業者が当時を思い出すままブログに書きます。
婚活相談の予約に大幅に遅れてきた男性
私が仲人業を始めて20年くらいたった頃(20数年前)のお話しです。面談の予約時間を大幅に遅れてきた青年だったことを覚えています。
今のようにインターネットが十分に普及していない時代でしたので、必ず北浦和の駅に着いたら電話してもらうようにしていました。
そのころはもう自宅を相談所代わりにはしていなくて、北浦和駅入口の交差点の角のビルの4階のワンフロアーを借りていました。
1階がミスタードーナツのお店でした。お店のオーナーがビルの持ち主でもありました。たいへん繁盛していて目立つ場所にありました。
「駅を背にして真っすぐ見てください。交差点が見えますか?はい、その交差点のかど、右側にミスタードーナツがあります。そのビルの4階です、お気をつけていらっしゃってください」
と丁寧で分かりやすく教えたつもりであった。ところが30分近く遅れた。
陥りやすい間違いの理由として、北浦和駅の西口は、ロータリーから道が放射状に3本延びている。たぶん真正面を見ないで、右の角度で真っすぐ見ている。するとその先にも交差点はある。
しかし、ミスタードーナツはない。そこですぐ電話をくれれば「違う交差点」と教えられるが、迷うだけ迷ったらしい。
現在の相談所はミスタードーナツ(今はセブン–イレブンになった)の交差点を渡り50メートルほど歩いた右側のビルである。向かいには北浦和公園があり、前を通る国道(通称埼大通り)は日本一長いケヤキ並木である。
彼はなぜか、大きめのキャスター付きのメタリックなスーツケースを転がしてきた。
「すみません、なにか、道案内の説明を上の空で聞いていました。たいへん遅れてごめんなさい」
と彼は坊主頭をつるりと手ですべらせて、素直に謝った。
そうなのかもしれないと思った。初めての結婚相談所へ来るというというのは、緊張感も手伝うのかもしれなかった。
7年間婚活しても結婚できなかった僧侶
出された名刺に「僧侶」とあった。この手の名刺をもらったことがなかったので、珍しかった。お坊さんだって人間だものねえ、と思ったが口にしなかった。
「私は29歳から7年間、10カ所の結婚相談所へ入会しまして、約70人の女性とお見合いしました」
開口一番言った。これは一筋縄ではいかない、と思った。10カ所の結婚相談所へ入って、しかも7年間お見合いをし続けてなぜ結婚できなかったのだろうか。見たところ、坊主頭というだけで、普通の30代の青年のように見える。
「この際、ご自分で少し考えてください。70人の女性とお会いして結婚できなかったという原因はどこにあるのか。お断りしたのか、お断りされたのかどちらが多いですか?」
「半々ですかねえ」
「それと、どういうパターンでお見合いをしてこられたか、ですね。申し込んだ方から承諾のご返事が来るのと、申し込まれた方にお会いするのがありますが」
「申し込まれた女性には必ず会いました」
「ほう、それはタフですね」
「申し込んだ女性からのよい返事は少なかったですね」
「どのくらいの割合ですか?」
「そう、20人申し込んで1名ぐらいでしたかね」
私はそれを聞いて“選び方に原因があるのか”と思った。
「お見合いをして、交際に入る確率はいかが?」
「ふうん…、10人に1人ですかねえ」
人間味があって、明るいという点では問題ないと思うが、会話に原因があるのか。
寺の後継者問題解決が命題と結婚を焦る
「いま、住職は父なんですが、私の後の後継者づくりが命題なんです」
彼の話だと、宗派あげて後継者問題解決のために、婚活支援しているという。あそこのお寺の次女がまだ独身だの、あそこの住職の奥さまの妹さんが独身だの、という情報をお互い流しているそうである。
宗派内ではどうあれ、事実ではあるが、婚活をする相手の女性からみれば、サラブレッドの血脈をつなぐ牝馬(ひんば)と同じように感じないか、である。
「とりあえず10人ほど選んでください」
さっそく彼に女性の身上書プロフィールを見せて選ばせた。すると、10人とも26歳以下である。今は結婚する人の平均年齢が上がったせいで、20代の女性の入会者は少ないが、当時は20代前半の女性もたくさんいた。
「辰野さん、10歳離れると女性からしますと36歳は“おじさん”ですよ。まれに、年上志向の女性はいますが、まれですよ」
「仲人さんたちから、いつも言われていました」
「お見合いに応じてくれるのは5歳年下までです。実際あなたに申し込みが来るのは30過ぎの方ばかりでしょ?」
「そうなんです、ですからそこは、申し込みが来れば会うようにはしているんです」
「それにこれ見ますと、けっこう背の高い女性を選んでいますね、同じくらいとか。背の高い女性がいいのですか?」
「そうなんです」
「ご自分より高くても?」
「そうなんです、高くてもいいんです」
「こちらがよくてもねえ…」
お見合い希望条件決め方人柄重視で選ぶ
「うちは、よその結婚相談所より2倍3倍の人数が毎月入会しますが、お見合いを申し込むとしたら、お相手のこともお考えになって申し込まないとね。165cmある女性はやはり常識的に自分より高い170cmないし175cm以上の男性を望みます」
「やはりそうですか」
「お見合いは、まず条件の出会いと、思ってください。早く結婚をしたいということでしたら、より可能性の高いお相手を申し込まれたほうがよろしいですよ」
「そうですか…」
なにか落胆したように見えた。
「辰野さん、自分のことばかり考えておられたら、いい結婚はできませんよ。それこそ相手あってのことですからね」
「そうなんですよね、そりゃそうですよね」
「160cmの女性だって、本当は175cmの男性がいいと思っていますよ。でもあなたからお申し込みをいただいたら“お人柄を見よう”ということで会ってくださるかもしれませんね」
「それもそうですね、私は背が低いので、せめて子供は背の高い子に育ってほしいと思っていました」
「あなたと同じように、背が低ければ低い女性ほど、背の高い男性を望みます。ですから男性が一番頑張らなければいけないのです」
「そうか、そうですよね、頑張らなければね」
「そうです、やはり、なんと言っても会ってみて人柄重視でお相手を選ぶようになさったらいいと思います。一生連れ添う女性、人柄重視で行きましょう。そうなさったほうが幸せは早く来ますよ」
彼は自分が選んだメモ用紙をくしゃくしゃにして、
「初めからやり直します!」
と言って、女性の身上書プロフィールをまた閲覧し始めた。
約20名のお見合い相手を選んだのをみたが、ほとんどが160cm前後で、150cm台前半の女性は皆無であった。できれば154~155cmの女性を集中して選んでほしかったし、学歴も短大、大卒ばかりが気になった。
ただ、年齢は30歳から上であったので、何とかお見合いもできるし、交際に入ってもうまくいく可能性が出てきた。
お見合い持ち物NGがお断り理由とわかる
入会手続きをして帰りかけたが、転がしているメタリックのキャスター付きスーツケースが気になった。
「あなた、これからどこかへお寄りになるのですか?」
と聞いてみた。
「いいえ、どこへも」
「じゃあどこかへいらっしゃった帰り?」
「いいえ、きょうはうちからまっすぐこちらへ…」
「…?でもなぜスーツケースを?」
「心配性なんですかねえ、これを持って出ないと不安なんですよ」
「…?何が入っているんです?」
「身の回りの持ち物をそろえていると、ついつい雪だるま式に増えてしまって、時には、預金通帳なんか入れるときもあります」
その時はさすがに驚いた。まさかと思ったが聞いてみた。
「いいえ、そうじやなくて、そんなものをこれまで、お見合いとかデートの時に転がして持っていかれたの?」
と聞いていた。
「ええ、おおむねそうですね、やはりいけませんか?」
「いけません!」
と私は叫んだようだ。彼は目を白黒させていた。私は彼をもう一度引き戻し、ソフアーに掛けさせた。
話を聞くと、初めのころのお見合いは、リュックサックを背負っていっていましたが、不安や心配から徐々に入れるものが多くなっていき、それでは容量が足りなくなって、しまいにはスーツケースになっていったとのこと。
私は少し気を取り戻すようにしてから話した。
お見合い持ち物は?男性は手ぶらが基本
「無くて七癖と言いますけれど、程度問題です。辰野さん、それって普通の人は異常に思います。お見合いをするときに、スーツケースを転がして、交際に入ってもそれを転がしているのを見たら、皆さんひきますよ」
「やはりそうですか。女性たちからもいろいろ質問を受けました。これからどちらへ?とか、どこかからの帰りですか?とか」
「そうですよ、さっきの私のようにね、どなたでもそう思いますよ」
「やっぱりそうですか」
と繰り返した。そうして、
「これからは、これやめます」
と、彼はメタリックのスーツケースを指さした。
「おかしいですよね。今までお見合い、うまくいかなかったのも、このせいかな?」
「たぶんに、そのせいです、間違いないでしょう、結婚相談所のお見合いでは男性は手ぶらでいくのが基本ですよ」
この当時の結婚相談所のルールでは、女性側の相談所の仲人の指示する場所なりお見合い会場で、当該の仲人が立ち会うルールでした。
だが、自社の男性会員の場合、女性側が指定するお見合い会場に出向くことから、その事情はよくよく相手相談所から説明をもらわないとその癖(へき)までは分からないことが多い。
それで結婚させることができないで、婚活をやめさせてしまったことがある。結婚できなかったことで、いわば失意のうちに退会していったのだが、それもこの結婚できなかったケースに特徴が似ているので参考に紹介します。
お見合い持ち物リュックサックでお断り
退会していった男性の一例をお話ししますと、お見合いにリュックサックを背負っていくのである。そして、お見合いの席で女性と話すときには必ず、そのリュックサックを胸に抱えて会話をしていたのだ。
入会の説明の時にそれとなく気が付いたのだが、極度に緊張しているのだろう、とおもんぱかったりして、アドバイスができなかった。ある日、自社会員同士をお見合いさせて気が付いた。その時は、
「リュックサック、下ろしていいですよ」
と私が注意したくらいで、彼はそれを隣の椅子に置いた。だが、あとで交際を断ってきた女性に、感想を聞くうち、
「彼と話していると、なにか落ち着かないんです、大きなリュックサックを胸に抱えたまま会話するし、ほっとできないんです」
とお相手の女性が言った。それがうちに入会していて最後のお見合いであった。
「僕は結婚できない体質なんですね、結婚相談所のせいにはしませんから、安心してください」
と、なにか嫌みに聞こえる言い方で退会していったのを覚えている。
結婚相談所に限らず“度が過ぎる”人はモテない。とくに結婚相談所は“普通”が一番である。
住職の奥さんを希望する女性とお見合い
辰野さんは入会後20日のちに、お見合いニュースに登録されると、とたんに申し込みが入ったり、申し込んであった女性から「承諾」の返事が来たりした。その中から、うちの女性会員で、橋爪かほる(仮名)さんが、彼を申し込んであったので、「お見合い引き合わせ」した。
《お見合い相手》
【橋爪かほる(仮名)29歳・東洋大学文学部卒・会社員・初婚・さいたま市(当時浦和市)在住】
辰野さんは、もうキャスター付きのスーツケースは転がしていなかった。私は橋爪さんが、彼を選んだ時点で、「二人は結婚する」という確信があった。それは勘のようなものであった。で、私の勘は当たる。
「私、私に務まるかどうかわかりませんが、お寺お坊さんの奥さんになってみたいと、ずいぶん前から思っていたような気がするんです…」
彼女は続けて言った。
「私、自分がふつうの専業主婦とか、会社員の妻になるってイメージがわかないんです。そうしたらこのたび職業欄に“僧侶”とあって、辰野さんが会ってくださったので、感激なんです」
彼は緊張していた顔が、少し緩んだ。しかし、やがて真面目そうに、
「でも、お寺の住職の奥さんはたいへんです。子供を育てながら、檀家さんの接待、法要の仕切り、食事の支度。それも見習の小僧さんはじめ大勢の食事ですよ、三度三度。おふくろを見ていますと、よく続くなあと思いますよ。まあ激務ですね」
私は思わず、彼女を見た。ところが彼女は「望むところ」とばかりにほほ笑んでいる。
「辰野さんったら、それではお嫁に来ない方がいいよって言ってるみたいよ」
と私はまた彼女を見た。彼女は、
「その前に、私たちにご縁があるかどうか、ですね」
しっかりしている。彼を見たらうなずいている。そして、顔がみるみる紅潮してきて、膝に置いたこぶしを握り直したように見えた。
「僕はもう、橋爪さんさえよければ結婚したい、と思えるほどです。でも、大変なお寺の家事全般を思うと、橋爪さんのような可愛い人にはとてもおすすめできません」
彼女は、それでも余裕の笑顔である。
「でも、お嫁に来てほしい、ということなんでしょ?」
と私。
「そうなんです!」
「それでしたら、そう悲観的なことばかりおっしゃらないで“僕もやれることはやるから二人で何とかやっていきませんか?”ということね」
「そうなんです!そう言いたかったんです」
「私ね…」と彼女は言い始めた。
「高校、大学と弓道の愛好会に入っていましたから、身体を使うことは平気だと思っています。それと、生まれてずっと公務員宿舎で育ちましたので、お寺のような広々したところに身を置く、ということに憧れるんです」
それも結婚の要素になるのかと思った。
半年後の秋に、私どもと提携している大宮の結婚式場で、二人は結婚披露宴を挙げた。その後、子供を二人もうけた、という絵葉書をもらったが、それから音沙汰はない。でも、今でもあの二人はお似合いのカップルだと思う。
眼をつぶると来し方が、走馬灯のように思い出されます。
(この項、了)
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